家に帰ると見慣れた寝室に見知らぬ男が立っていた。寝室は入り口から向かって奥にベッドと窓、手前に机と帽子掛が置いてある。床には脱ぎ捨てたパジャマと読みかけの本が転がっている。見知らぬ男とはいえ乱雑な部屋を見られては示しがつかない。私は慌てて部屋を片付け始めた。
黒シャツに黒ズボンを履いた見知らぬ男。ビッグシルエットの服から覗く手首と足首は相対的に男の身体を細く見せ、細くも太くもないはずの男の身体を色白く華奢に映した。
男は手にしていたペットボトル飲料を一口飲んだ後、それを床に撒き始めた。250mlボトルのピーチティー。男はポケットから雑巾を取り出し聞こえないため息を吐くと床の掃除を始めた。悲とも哀とも怒とも見える表情からは何も想起できない。黙って見ているわけにもいかない。私は部屋の隅に置いてあったモップを取り一緒に掃除を始めた。床に撒いたピーチティーは埃と混ざって真っ黒になっている。埃だけじゃない。よく見ると数センチの煤が積もり床一面を真っ黒に覆っている。さっきまではなかった煤。黙って床を磨き続ける男。ピーチティーと煤で練り固められた泥状の液体は止めどなく溢れ続ける。私はそれをモップで吸い続けた。
作業は数時間続き積もった煤は全て取り除かれた。床を見ると木目調パネルの風合いが無機質で薄黄色に近い白色に変わっている。茶色だったはずの床は白色に脱色されていた。男の手元を見ると持っていたペットボトルはピーチティーからコーヒーに変わっていた。
男は安堵とも哀とも悲とも言える表情を浮かべるとマッチを取り出しタバコに火をつけた。嗅ぎ慣れない火薬の匂いが鼻をつく。男はタバコを半分ほど吸い終わると床にしゃがみ込み笑い始めた。私もつられて笑う。ふと何か話しかけようと口を開こうとした時、男から笑い声が消えた。それと同時に口からタバコを離すと白い床に勢い良く擦り付けた。無機質で薄黄色に近い床面が焦げその匂いが部屋中に広がる。男は黙って立ち上がると部屋を後にした。私の口から出かかった言葉は息になり白い床を湿らせ、タバコで焦げた床面はまだ暖かく、焦げついた臭いを放っている。
それから男が帰ってくることは無かった。白い床に付いた黒点を私はただ撫で続けた。
